譲渡会では、意識しているわけではありませんが、自然と猫のコーナーにはあまり行きません。ほとんど犬のそばにいて、画像を撮ったり、犬たちとスキンシップをとってしまいます。実は猫が怖いのでした。
散歩中に猫がいるとUターンして遠回りします。どうしても他に道がないときは、遠くから、「シッ、シッ」と追っ払ってみますが、どいてもらったことはあまりないです。結局は、マーシャが数歩猫に近づいて、猫がしゃーっと背中を丸めて威嚇して去ります。
去年の夏、ライフボートさんへ見学に行きましが、猫が恐くて、ソファに座ることも恐る恐るで、猫がちょっとでも動くものなら、びくびくして、とっても情けない姿を、めぐろのいぬやしきさんと華ママさんに暴露してしまいました。(ライフボートさんの猫は、超特大サイズの子がごろごろで、猫同士で喧嘩までしたときには、私の恐怖は頂点に達していたのです。)
マーシャが我が家にとっては初めての犬で、その後、妹の家にルディが来て、実家にアッサムが来てと、犬派のような家族ですが、私たちが子供の頃、家にいたのは猫でした。私が小学校入学前後に、父が真っ白な子猫をもらってきました。そのときの夜のことはうっすらと記憶にあります。祖母か祖父のどちらかが、メスだからチロとその場でつけました。(しかし、祖母も母もずっとシロとよんでいて、父と子供達だけがチロと呼んでいました。)父は、きちんと考えて行動するタイプではなく、また無責任な人なので、子猫をもらってその世話はどうしようかなどと考えないで、ただもらったきただけです。別に子供のためというわけでもなく、たぶん仕事の付き合いか何かの理由でもらってきたのではないでしょうか。
お転婆チロは、祖父母も手をやいて、私が学校から戻ると柱につながれていたこともあります。チロの世話は祖父がしていました。最近は猫は完全室内飼いがいいとされますが、私が子供のころは猫は放し飼いで、キャットフードをあげる習慣もありませんでしたので、世話といっても、人間の残りものをチロのお皿に入れるだけでした。私の田舎では、魚屋が多く、魚屋だけでなく一般の家でも、魚を外に干します。チロも他の猫も、干した魚から、栄養をもらっていたと思います。ときどきチロに取られたと祖母に言ってくる近所の人もいましたが、あいさつみたいなもので、今のように他人行儀ではないので、すまんなで終わっていました。(猫に取られる魚よりトンビに取られるほうがはるかに多く、その上、トンビは食べた残りを落とすので、トンビが落として腐ったサカナを散歩中の犬が食べるので困っているそうです。)
チロはとても気の強い猫で、相当喧嘩をしたみたいです。いつの間にか耳がきざきざになっていました。世話もしないくせに、父は避妊手術に反対で、そのうえ、放任飼いなので、当たり前ですが、子猫が生まれました。最初の子はチロが2歳くらいのときで、2匹の真っ白で、目が青い、とてもかわいい子猫でした。生まれる前から、白い子ならほしいという人がいて、2匹ともほしいと言ったり、元気なほうがいいと言ったりしていると父から聞きましたが、やんちゃなほうの子猫が風邪をひいて、目やにがひどくなり、それならきれいな方がいいと、おとなしい子がもらわれていきました。
目やにが出た子をどうしていいかわからなくて、父がいろいろあたって、我が家始まって以来の獣医さんなるものがやってきました。しかし、当時佐渡にいた獣医さんは家畜専門の獣医さんです。それでも注射をして薬を処方してくれて、毎朝、祖母が無理やり子猫の口をあけて錠剤を砕いて、押しこんでいました。それを見て、「ばあちゃん、そんなことできるんだ。すごーい」と感激しました。祖母は動物嫌いで、チロのこともかわいがってはいませんでしたが、両親が共稼ぎの我が家では、家のことは祖父母がしていたので、子猫の薬も、祖母がやることは暗黙の習慣みたいなものでした。
祖母がどちらかと言うと、乱暴に扱っていたわりに、子猫はすぐによくなり、もとのきれいな子猫になりました。ずっと家においておきたいと父に言いましたが、「かわいいのは子猫のときだけだから」と、ほしい人がいたらあげることに変更はありませんでした。しかし、小学校3年生のときの7月1日(この日付だけは覚えています)、祖父の叔父(鍛冶屋のじーさんと呼ばれていた)が、家に来て玄関をあけたまま話していた間に、子猫が道路に出て、車に引かれて死んでしまいました。死んだ子猫をダンボールに入れていたのですが、チロが子猫を探してダンボールを破り開けて、死んだ子猫を舐めるので、木箱に移されました。そのあともチロがずっと子猫の入った木箱から離れず、子猫を探して泣き続けました。その声が悲しかったです。(その後数ヶ月間、鍛冶屋のじーさんを恨んだものです。)祖父がすぐにお寺からお札をもらってきて、埋めに行きました。
それからチロは何度か子猫を生みましたが、2回目以降は、キジトラや白黒などの子が混ざりました。 2回目の子猫も、1回目と同じで階段下の押入れで産みましたが、どうして知ったかわかりませんが、祖母が異常を感じ、祖父を呼びました。へその緒が切れなかったらしいです。祖父が切りました。(祖父は、たしか鎌を使っていた記憶があります。今では信じられない方法ですけど。)最初4匹いたのですが、遊びに来た従姉に、子猫を見たいと頼んで出してもらったせいだと思いますが、チロが何回か場所を移してしまい、目が開いた子猫をチロが連れてきたときには2匹になっていました。2匹とも、目が普通でなかったです。今考えると、瞳がない子たちだったのではないかと思います。それでも、白い子は近所で聞いたという人にもらわれていき、キジトラが残りました。蓬(よもぎ)という名前をつけたその子は、いつもチロといっしょにコタツの上にいました。私が初めて猫にさわったのは蓬の尻尾です。そして、その子も車に引かれて命を落としました。障害があったので、外に出ないはずの子だったのに、チロが子離れしかかった頃、子猫を置いて外に出たので、それを追いかけて出たのでしょう。蓬は、もっと気をつけて飼わなければならない子でしたが、その知恵が私達には欠けていました。
3回目のお産は、何匹生まれたかはわかりませんが、一度チロが場所を変えるとき、白い子猫の首をくわえて走るのを見ました。たしか3匹いたとおもったのですが、人間のところにおりてきたのは1匹だけでした。すごく人間を恐がる子で、私達に近づいてくることがなかったです。美容院の人にもらわれました。人馴れしてないので、祖母が苦労して捕まえたと言っていました。学校から帰ったらもらわれた後でした。白で、頭のてっぺんだけが薄い黒が入った子でした。 この子に限らず、猫がもらわれるときは、いつも学校に行っている間か、遊びに行っているときで、もらわれていくときに立ち会ったことは1度もありませんでした。
次の子は、白、キジトラ、黒白の3匹でした。近所の食堂に猫大好きのおばさんがいて、自分の家の猫だけでなく、猫ならどんな子でも、野良だろうがよその家の子だろうが区別なく、いつもなでている人でした。チロもかわいがってもらっていました。その食堂で飼われていた白猫が亡くなって、よく知っているチロの子がほしいと言われました。猫を大事にすることで有名な食堂なので、そこに飼われる猫は最高の幸せを保証されているという話でした。白い猫がいいと言っていましたが、キジトラが特別器量よしで、とりあえず2匹連れて行って、家族で見てみるといいました。父は2匹でもいいぞと言ってましたが、キジトラに決まりました。チロはとても美猫でしたので、生まれた子猫はどの子も器量よしでしたが、そのキジトラは特別の器量よしだったのでした。そのあとすぐ、その食堂で話を聞いたお客さんが、白い猫をもらっていきました。
残った黒白は、どんどん人間を恐がるようになり、チロのそばから離れず、人間に近寄らないまま大きくなりました。ご飯は、祖父があげるものを食べていましたが、チロといっしょでないと食べれませんでした。チロとあまり大きさが変わらなくなった頃、チロが次の子を身ごもってしまいました。いつもは家の中の押入れで産んでいましたが、その黒白の子(ブチをさかさにしてチブと呼んでいました)がいるため、家で産むことができなかったようで、隣の屋根裏で産んだらしいのです。チロがいない夜、一人でいるチブに祖母がご飯をあげようとしましたが、そばに来ないで、飛んでいる虫を食べていたそうで、祖母がかわいげのない猫だと言っていました。子猫が何度も生まれて、私達も子猫が珍しくなく、また、チブが懐かず、体も大きくなったので、あまりチブのことを気にかけてはいませんでした。チブは、お腹と足先、顔のノズルが白で、あとは黒い子でしが、チロに似て目が大きく、整った顔をしていましたが、私たちにとっては離れて見るだけの猫でした。それでも家の中にはいました。私の家は、土間で、スペースもあり、人間に接することなく、猫が住める環境でした。
チロが外でのお産の後、家に戻ってきたとき、お尻に黒いかたまりをつけていました。チロが我が家に来てから、何度か呼ばれた獣医さんにきてもらいました。お尻についていたのは、死んだ子猫だったそうです。そのあと、チロは外に出られなかったので、お尻についていた死んだ子猫の他に何匹産まれたのかわからないままです。それが最後の、見ることもなかった子猫です。
しばらくして、チブを見なくなりました。チロが追い出したのか、自分から出て行ったのかわかりませんが、親子でいたら、子供が出て行くのは自然の成り行きとされていました。祖父母も両親も猫を捨てるということは嫌いましたが、避妊せず、生まれたら、もらわれるかそのままという飼い方でした。捨てることはしなくても、産んだらそのままにして、いなくなるというのは、捨てるのと同じです。数ヵ月後、死んだ直後と思われるチブが家の中の天井近くの棚で見つかりました。弱い子なので、野良に成れないで、誰にも見つからないように家に戻って、食べ物もなく、ひっそりと死んだのではないでしょうか。結局、もらわれて行った子以外は、どの子も死なせてしまいました。祖父は何度、お寺に御札をもらいに行ったことでしょうか。
チロは、私が高校に入学してまもなく亡くなりました。猫は死ぬ姿を見せないと言われていましたが、一番かわいがっていた妹の布団の中で、安らかな寝顔のまま息を引き取っていました。チロが家族の知らないどこかではなく、家の中、それも一番好きな妹といっしょに寝ている間に亡くなったことは、子猫を死なせてしまった私達家族には救われる思いです。
新座犬猫里親会で募集中のユウ君です。
最近のコメント